2006年07月03日(月)
小泉さん、プレスリーですか?

 訪米中の小泉総理きょうは大統領専用機エアフォースワンでプレスリーの生地へおでかけされたとか。はしゃいでいる様子が映像で流されました。
日ごろ過酷?な公務のなか、そういうおたのしみがあってはいけないとは言いません。が、その訪米の直前にあのBSE牛肉が解禁されています。
 アメリカのとさつや精肉の工場の現場の担当者が「責任がもてない」とすら言っている非常に危険な輸入再開がおこなわれようとしています。
はしゃいでいる場合ですか?BSEの問題は何年も経なければその結果はわかりません、だからこそ少しでも不安があるなら輸入再開は凍結するべきではないでしょうか?
 エイズ、ヤコブ病,ハンセン氏病、などむかしそのときに打つべき手をうってさえいれば防げたはずの被害者。何年かの後、BSE牛のせいで狂牛病を発生した患者が政府に補償を訴えるそういう姿をみなくてはならないのでしょうか?小泉さん、きっとあなたはもう生きてはいないでしょう。国民の命をプレスリーのおたのしみとひきかえにするその責任をあなたはどうやってとるのですか?


2006年07月17日(月)
わが青春のアサヒキャンプ

 仲間が集まった。三河湾に浮かぶ小さな無人島「梶島」をながめる吉良海岸に。そのむかし?かれこれ40年あまりももまえのことです。大学生がボランティアで活動するアサヒキャンプという青少年のための教育キャンプがありました。
 朝日新聞厚生文化事業団が主催し、愛知県梶島、伊勢志摩の多徳島、東京の3箇所でこどもたちやフアミリィを受け入れていました。
 水のない島に水舟が来て水槽にため、その水をモーターでくみあげてつかうので、顔を洗うにも慎重に水の使用を考えました。
 小さなぽんぽん船で到着したところはナポリの浜、あせも坂を登り、あせも峠のゲートをくぐれば右手にオフィスそろばん、大学生のカウンセラーがにこやかにむかえてくれます。左手には100人が入れる食堂テント、その横には調理師学校から来てくれたひとたちが腕をふるうキッチンかにのこ、名物かじしまコーヒーはあっつい麦茶。
 食テンで待っているとカウンセラーのおにいさん、おねえさんがせいぞろいしてうたの歓迎です。友が来た、遥か海こえ、このしまへ、、、、楽しいキャンプのはじまりー。
 常時100人のキャンパーを迎え、およそ30人あまりのスタッフは名古屋市を中心とした大学生。文化事業団から専従職員はキャンプ長1名。
睡眠不足や疲労と戦いながらキャンパーとともにたくさんのおもいでをつくってきました。
うたではじまりうたで終わる、苦しいこともあったけどここで得たすべてのことがいまのわたしの原点だといっても過言ではありません。
また、どこかでこのおはなしは詳しくほうこくしてみたいですね。
 カウンセラーにはみんなニックネームはつけられていてタースケ
とかアメンボとかベースとかうらなりとか、えんとつとかちなみにわたしはしらたまが本名?ですがみんなから、おたまちゃんとよばれていました。
 なかまはみんなとっても立派になって、校長先生やら部長さんやらになっているのだけれど、たがいにニックネームでよびあいながら、青春の日々に帰ったのでした。



キーワード



日記ログ
shiromuku(fs)DIARY version 1.03